新聞を眺める
活字にされた事件はいつも僕にとって
どこかで起きた
どこかの出来事
数字で表された死人に
僕はどうしても
それ以上の感情を持つことが出来ない
それはドライって言葉で片付けて
唇の端を歪めて終わらせることではないんだろうけれど
きっと僕は
人生の終わりを意識してしまってから
自分を自分の視点で見ることが出来なくなったのかも
新聞を眺める
何でこんなにも
悪い 刺激の強い記事しかないんだろうって思いながら
部数ってやっぱり
新聞には必要なようで
その時点で完全な第三者的な役割は期待できないのだろうけれど
当事者は謳う
言論の自由を
自らが縛られていることを見て見ぬふりで
今日も新聞は
大きな記事
そうでない記事が載って
これが昨日の世界の出来事だって
大きな顔をする
朝早くおきた
自転車やバイクに乗った人に運ばれて
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