2013/01/21

新聞を眺める

新聞を眺める


活字にされた事件はいつも僕にとって
どこかで起きた 
どこかの出来事

数字で表された死人に
僕はどうしても
それ以上の感情を持つことが出来ない

それはドライって言葉で片付けて
唇の端を歪めて終わらせることではないんだろうけれど

きっと僕は
人生の終わりを意識してしまってから
自分を自分の視点で見ることが出来なくなったのかも



新聞を眺める


何でこんなにも
悪い 刺激の強い記事しかないんだろうって思いながら

部数ってやっぱり
新聞には必要なようで
その時点で完全な第三者的な役割は期待できないのだろうけれど

当事者は謳う
言論の自由を 
自らが縛られていることを見て見ぬふりで


今日も新聞は

大きな記事
そうでない記事が載って

これが昨日の世界の出来事だって
大きな顔をする


朝早くおきた

自転車やバイクに乗った人に運ばれて






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